シナモン河童通信(絶賛休載中)でも、散々書いたことですが、今回の中国共産党によるチベット大虐殺に対し、静かに激怒しながら、また取り上げます。
『隠蔽されたチベットの真実』 より一部転載
http://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm
>太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」でした。戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇をもたらす結果となりました。1945年8月15日・・・日本の敗戦です。日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で
「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」
『隠蔽されたチベットの真実』 より一部転載
http://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm
>太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」でした。戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇をもたらす結果となりました。1945年8月15日・・・日本の敗戦です。日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で
「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」
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